El Diario Del Bufón Del Rey Lear

元リアの道化による独り言とか。

年賀状

年賀状って必要なんだろうか。私にも年賀状でしかやり取りしていない人がいて、正直言ってもう縁を切りたいのだけど先輩だし無視するわけにはいかないので鬱陶しい。

 

でも。

親戚に友達と連絡することはメールやLINEが多いのでハガキでのやり取りは今時新鮮である。もう手書きは止めてしまったけどハガキを貰うのはなかなか嬉しい。自分のために時間を使ってくれているのだしね。私も義理で書かなければいけない年賀状は鬱陶しいけど好きで書く年賀状はまあいいかなあ。

 

年賀状と言えば少し話題になるのが自爆営業。実家は毎年年賀状が足りなくなるので多めに買っておけばいいと思うのだけど、それでも書く枚数は減っているからやっぱり自爆営業しないと黒字にならないのだろうか。

 

そろそろ年賀状を書かないといけないのだけど、まだ何も手を付けていない。

ナンパに遭った話

忘年会の帰り、もういい時間だったので某駅で乗り換えしようと急いでいたら突然肩を叩かれた。振り返ると湯浅弁護士を胡麻塩頭にしたような風貌の男性で「明日お茶に行かない?」と言われた。一瞬何を言われているのか分からなかった。

道化「……はい?」

男性「明日お茶飲まない? 明日」

道化「……?」

男性「明日ダメ? お茶飲もうよ」

道化「(なにこれ怖い……下手なこと言えないぞ)」

無視して逃げるのも怖かったので以前ちょっと精神に障害があると思われる人に話しかけられたことを思い出した。その時と同じ手、つまりスペイン語をしゃべって日本人じゃない振りをしようと決める。

道化「Lo siento. No puedo hablar japonés(ごめんなさい、日本語喋れません)」

男性「あれ、あ、日本人じゃない?」

道化「No, no soy japonesa(日本人じゃないです)」

男性「あー日本人じゃないのね、ハヴァナイストリップ

そこで男性は去ったんだけど、よく考えると日本語通じてるんだよね。最初の返事も日本語だったし。この男性が外国語に堪能だったらどうしたんだろう私……。耳が聞こえない振りという手もあるかもしれないけど、それをいいことに何かされるのも怖いし。

 

何も無かったからいいけど……普段のほほんと生きているから、怖い。

もしかして?※消すかもしれない

私はずっとシスヘテロだと思っていたんだけど、最近バイセクシュアルかパンセクシュアルじゃないかなと思うことがある。

小学生の頃から大学で縁が切れるまで、ずっと仲が良かった友達2人がいた。あと妹と併せて4人でつるんでいた。この3人は何があっても私が守る、そう思っていたし思春期ながらの深い話もたくさんした。性別を超えてなのかは分からないけど、私は彼女達を愛していた。

中学高校の演劇部でも仲間は大事だったし、憧れの先輩もお気に入りの後輩もいた。前の日記に書いた亡くなった先輩は独占したいぐらい好きだったし後輩も片思いの始めみたいな気分で見ていたと今となっては思う。女子校だったから疑似恋愛だったのかもしれないが。

高校3年生の時に講師で来ていた若い男性教師に憧れというか、ほのかな恋心を持っていたし良人をいれて付き合った男性は3人いるので恋愛対象に男性が含まれるのは間違いない。告白できなかった男性もいる。けれど、現実の男性に対して性的欲求を持ったことはない。望まれれば答えるっていう感じで。

で、自分の性欲はどうするかというと主に女性の体に向けられるのかなって思う。男の体にどうこうしないけど女の体には……でも触りたいかっていうと……違うのかな。

 

コスプレイヤーになってからいろんなキャラをコスプレするんだけど、女性レイヤーがしている絡みのあるキャラクターだったら……って、思うあたりキャラが憑依しているのかうざい性格なのか。

 

ちなみに、BLは好きじゃない。GLは好きだけど。BLを過剰に賛美して実際のLGBTの方々に己の理想を投影して傷つけるような腐女子は滅びればいいと思っている。

事件

自戒。忘れないように携帯のメモ帳に書いたものをそのまま転記する。

 

ーー転記ここからーー

ここのところヒステリー球っぽい症状で悩まされていた。夕方はすごく眠くなるし、便秘気味。とにかくイライラと落ち込みが激しい。
電車が遅れていたので途中駅で良人と合流した。良人は座り、私は立っていた。疲れとか甘えとかでイライラしていた。
最寄駅に着いて良人が寒いと言い出した。朝暖かかったからコートを着て行かなかったのだ。私はコートを着てマフラーを巻いて手袋を持っていたので手袋を貸した。だけど手袋は邪魔だと返された。
最寄駅から自宅までは自転車を漕ぐ。私は142cmしかないので自転車も子供と同じサイズだ。良人は179cmあるので自転車も大人用である。彼は自転車を全力で漕いで家に帰るのを常にしているが、私はダラダラ漕いでいる。1週間の疲れと良人への甘えも会って歩くより遅いスピードで漕いで帰った。良人はその様子を見て「今日は自分(良人)といたくないんだな」と判断したらしい。
帰宅して彼は自分の洋服の整理を始めた。私はさすがに帰宅中の態度が悪かったかなと思って「ご飯どうする?」と聞いたが、良人は「好きにする」と答えた。本当は一緒に美味しい物でも食べに行きたかった私はその返答にイライラして悲しくなった。そういう態度を取らせたのは私だと思うと自分が許せなくなった。
整理が終わった後も良人携帯をいじって私のことは放っておいた。私はやっぱり悲しくてイライラして家を飛び出そうとコートを着た。良人が私の様子に気付いて引き止め、上記今日の様子を説いて「この状況だと一緒にご飯食べても楽しくない」と言った。だからお互い好きにしよう、と。
私の中で何かが切れた。再び携帯をいじり出した彼に見つからないように剃刀で手の甲の親指の付け根辺りを掻きむしった。手首も少し。良人が気付いた。
もうしない、ごめんなさいと泣きじゃくる私に彼は「俺を悲しませたいのか」と聞いた。私は首を横に振った。「俺をコントロールしたいのか」「そうかもしれない」との私の答えに、「他人をコントロールして楽しいか」と聞いた。私は答えられなかった。ただ泣いてもうしない、助けてと繰り返していた。うっすら自分はアスペルガーなのかもしれない、離婚になるかもしれないと思った。どこまでも私は自分のことしか考えていなかった。良人の目から光は消えた。
彼は台所に行き、何かを考えた後鍋に水を張った。そしてそのまま風呂場へ行き、何をしているのかと心配でついてきた私に「12月のこの寒い中で水をかぶったらどうなるかな」と言った。ようやく私は今まで何をしてきたのかを悟った。良人が頭から水をかぶる瞬間、私はただ彼に抱きつくことしかできなかった。
泣いて謝る私に良人は「今まで自分(私)が何をしてきたかわかったか」と聞いた。私はただもうしないと泣いた。
とりあえず交代で風呂に入り、濡れたものを洗濯して今に至る。もし良人が外で水をかぶったら?もしマッチやライターで顔を炙ったら?包丁で自分を刺したら?私はそれらと同等のことを今までしてきたのだ。ただ自分が辛いという理由だけで。

 

ーー転記ここまでーー

 

今、辛いのはわかる。でもそれをどう発散するかは大事な問題だ。絶対に自分も他人も傷つけてはダメだ。綺麗事だけど、自分も誰かの「大切な人」なのだから。

身体を張ってくれた良人に私は一生頭が上がらないだろう。

 

クリスマス近いから

聖ヨセフと聞いてどのくらいの人がピンとくるのか分からないけど、聖ヨセフについて思うところがあるので少し。

 

聖ヨセフはイエス・キリストの養父である。養父というのはイエスの母マリアは聖霊によって身籠ったとされるからで、イエスの実父ではないから養父だという。スペイン語でヨセフはホセというんだけど、愛称ペペというのは養父padre putativoの頭文字ppからきているらしい。

で、福音書によるとヨセフはマリアが身籠った時に当然自分の子供ではないので当時の立法に則ってマリアと密かに縁を切ろうとした。ウィキペディアによると本当は公表するのが決まりだったらしいけど、密かにというところがその性格を表しているんじゃないかなと勝手に思っている。で、天使が現れてマリアのお腹の子供は神の子と告げられたことからイエスとマリアを守ろうと決意した。

 

ここで「ヨセフは天使が現れるまでマリアのことを信じられなかった」という、人間の弱さを読み取ることもできるという話を礼拝で聞いたことがある。でも私はそう思わないけどね。もしヨセフが「ばれなきゃいーじゃん」というタイプでマリアとそのまま結婚するって決めたら……立法に反していることになるしね。この立法は一応神から与えられたものだし、その立法に反するような男の妻を聖母に選ぶか? という疑問。

まあつまり、マリアのことは好きだけど神から与えられた立法に反しているから泣く泣く別れようと決意したというのはその時代正しい選択だった、と思うんだよね。そして天使のお告げによりこの状況を受け入れることを決意した。

この後ヘロデ王による幼児虐殺命令の時、ヨセフはマリアとイエスを連れてエジプトに逃げている。神の子だからというのもあると思うけど、単純に夫として父親として、妻と息子を守りたかったんじゃないかなって勝手に思っている。

 

その後のヨセフについて聖書に記述はないんだけど、どうやらイエスが受難=十字架にかけられた時、一度イエスに会っているらしい。十字架にかかった聖金曜日の次の聖土曜日にイエスは死者の国に行ったとされているんだけど、この時すでに亡くなっていたヨセフと再会したと考えられているんだって。実父じゃないけど幼少期育ててもらった恩を忘れなかったんだねイエスも、とこのエピソードを聞いたときに思ったし、ヨセフは嬉しかったんじゃないかなとも思った。

 

私はキリスト教徒じゃないけど、幼少期から思春期の頃にキリスト教に触れているからかなりの影響を受けている。私も結婚して子供のことを考える歳になり、父親が誰だかわからない子供を良人に愛してもらうっていうのはなかなか難しいと肌で感じている。今より厳しい時代なら、尚更。

特徴

先日のコスプレの併せ(複数キャラクターが集まっての撮影会)でのこと。コスプレイヤーが私を入れて3人でカメラマンが1人のまあ小規模と言っていいほどの併せだった。コスプレイヤーのうち1人は初めて会う人だったけど、もう1人のコスプレイヤーは前に1回会っているし、カメラマンのAさんは今回が4回目かつSNS上では何度かやり取りさせていただいている方だった。

 

Aさんは前にとあるSNSで繋がっていた方で、Twitterで繋がったのは去年ぐらいからである。プロフィールに「障碍者」「ノンシス」とあったのだけど、最初はちょっと驚いたけど別段特に気にも留めていなかった。余談であるが私にとって他人のセクシュアリティとか障害の有無とは、最初はびっくりするけどその人を彩る1つの特徴でしかない。自分の深層心理ではわからないけど、表層の意識では眼鏡をかけているとか左利きであるとか外国人であるとかと何歳だとか血液型がどうとかと同じレベル。だって私も双極性感情障害だし、超低身長に分類される142cmだし、二卵性双生児だし。分類すれば幾らでもマイノリティである。

話を戻してAさん。一応外見は女性ではあるけれど雰囲気は男性的でもあるし、着ている洋服も女性的というよりTシャツにジーンズといったユニセックスのカジュアルな感じ。ブログを拝見したところトランスジェンダーとのことらしいけど別にだから何だという感想しかない。しかしヘルプマークを鞄に付けていたのは初めて知った。Aさんの障害が何なのかわからないんだけど聞いていいのか悪いのか分からず今に至る。

 

まあ、実際にお話しして写真を撮っていただいているとそんなの些末な問題でしかなく、撮った写真が素晴らしいことには変わりない。むしろ私の身長が低すぎることとかメイクが下手なこととかウィッグのセットが下手とかそっちの方が問題である。

死ぬこと

良人が死恐怖症というやつらしい。タナトフォビアと一般には言われる症状で、少し調べてみたらパニック症状の一つらしい。確かに彼は幼少期に死ぬことについて考えていたら恐怖で眠れなくなって両親の部屋に駆け込んだことがあるとか、私に抱き着いて黙り込んだことがある。

翻って私は精神疾患があり、主治医によれば抑うつ不眠症、カウンセラーと別の病院では双極性感情障害2型かつアスペルガーの傾向があるので簡単に死にたいとか消えたいとかいうタイプなのである。そんな話をすると良人に「俺がいるのに死にたいのか」と言われるが、死にたいものは死にたいのである。

良人の話に戻ると、彼はどんなに辛いことがあってもタナトフォビアのため自死という選択ができない。いつかは死ぬのだけどその恐怖に耐えながら生きている辛さを私には想像できないけど、寄り添うことならできる。彼の発作の時私はただそばにいることしかできないのが辛いけど。

 

今日11/29はジョージ・ハリスンの命日である。私達夫婦はいわゆるビーキチなのでこの時期と12/8のジョン・レノンの命日はしんみりするのだけど、ある時酔っ払った良人が「ジョンもジョージも経験しているけど死とはどういうことか語ってくれない。死んだら死に続けるんだ。怖い」と呟いていた。確かに死んで戻ってくることはできないので死ぬという体験ができないのだけど……。

 

今日漫然と生きている一日は誰かが生きたかった明日だという言葉は綺麗事な気がしてあんまり好きじゃないんだけど、やっぱり私が生きている今日は誰かが生きられなかった明日なんだろうなと思う。