El Diario Del Bufón Del Rey Lear

元リアの道化による独り言とか。

学校における有名人

私の通っていた中高では英語のスピーチコンテストがあった。スピーチが終わった後審査員が評価している間は当然暇なので、ある年まで英語部(いわゆるE.S.S)による劇の上演があった。後に「合唱コンクールの審査中に音楽部(いわゆる合唱部)の発表が無いのに英語部だけ発表の場があるのはおかしい」という理由で無くなったんだけど、別に存続してもいいんじゃないかなと思う。ミッション系の学校だったのでY.W.C.A.(=キリスト教女子青年会)と聖歌隊ハンドベルもあったんだけど、それらは礼拝で奉仕という名の発表があるんだよね時々。まあキリスト教系の部活は特別なんだろうか……。

 

そう言えばバスケ部とバレー部と卓球部は球技大会で活躍していたし、テニス部も球技大会の卓球で結構力を発揮していた。先述の合唱部と聖歌隊合唱コンクールで活躍していたしそれぞれに目立つ場があったような気もする。

私が所属していた演劇部はそういう場はなかったけど何かと目立ったと思う。私もスピーチコンテストに出場したけど、全然知らない先輩とかには「あ、演劇部のあの子でしょ?」みたいな反応だったと聞いた。

これはこの前聞いたんだけど、Y.W.C.A.の会長だった友達は時々定例報告で全校生徒の前に立つことがあったからそこそこ名前を知られていて、体育大会の時に知らない後輩とツーショットをお願いされたらしい。公演系じゃなくても有名な人はいるよね。

友達

父と姉は交友関係が広く友達も多い。父の年賀状は全盛期で豆腐3丁分ぐらい来ていたと記憶している。実家を出た今は知らないけど、それでも1丁は来ているんじゃないかと思う。姉の方は彼女自身も言っていたけどあちこちの世界に所属しているので多種多様な友達がいる。結婚式もかなりの人数が来ていたと思う。

反対に母と妹は交友関係が狭く深いので話を聞くといわゆる「いつメン」で会っていることが多い。2人とも学生時代からの付き合いだから妹は10年以上、母に至っては30年以上付き合っていることになる。

良人は「結婚式に呼ぶ人なんていない」とか言っていたのに実際は私より多くの人数を結婚式に呼び、それでも人数の都合で呼んでいない人もいる。仕事関係はほとんど呼んでいないので彼の友達とか知り合いはきっと多いだろう。

さて私だけど、交友関係は狭く浅いという一般的には最悪のパターンだと思う。中学から付き合っている友達もいるしここ数年でできた友達もいる。切れてしまった人達、いつの間にか離れてしまった人達も多い。

 

狭く深くでも狭く浅くでも広く深くでも広く浅くでもその人の人生なんだから友達が多くても少なくてもいいじゃないと思う。他人にどうこう言われたくはないね。友達が少ない私が誰かに迷惑をかけているのかって話。

椎名林檎とこっこ(スペイン語バージョン)

以前書いた日記のスペイン語バージョン。多分文法間違えてると思う。

 

De repente, odio Ringo Shiina y Cocco. Nunca escucho, y no esucheré sus canciones en mi vida. Lo siento si haya sus enfantas.

 

Cuando era niña, mi hermana major escuchaba de Cocco, pero no interesaba a ella por eso no tenía nada impresión.

 

Las dos canbiaran a las especiales cuando era alumna del colegio segundo. A una “sempai” del club le enantaban las dos cantantes, y yo la gustaba a ella. No, quizás era una tipo de “falso” amor. Así que escusharía las dos, sé que a una “douki” se las enantaban.

Ella era(y también es) muy guapa y tiene un talento de drama, además es muy linda. Como yo era (y también soy) una chica muy normal y no tengo el talento, siempre la envidiaba.

Recuerdo que la sempai y la douki hacía conversasión sobre las cantantes. La verdad era que odio su conversasión. No lleva “mi” sempai... creo que sentía como es. Andaba el camino diferente con la douki.

 

Cuando era primer grado del bachillerato, a la sempai se suicidio de repente. Todavía no entiendo la raón. No pude llorar cuando me dio la noticia, ni su funeral. Una amiga del club me dijo que pudo llorar si quería, pero no pude. Sólo abrazaba una “kouhai” con mi ojos rojos.

En ese momento era un modo de tener una página web. La douki y yo tenían nuestras páginas. En su página, ella escribía que ella no podría llegar a su posisíon de la sempai. Cuando lo vi, de repente sentía que perí a ella sin falta. Aunque no entiendo que tipo de perder, pero la perdí, como eso, odio las dos famosas mucho más.

 

Después de mucho tiempo, la amiga íntima me dijo que ella pudo escuchar a Shiina Ringo. Por ella no tenía común en sus canciones. La dije con vergüenza que todavía no pude escushar por los recuerdos de ella. Ah, no recuerdo qué decía sobre Cocco.

 

Hace unos 15 años cuando ella falleció, pero todavía no puedo escuchar las dos famosas. Además no puedo preguntar que todavía a la douki la gustan.

 

Una vez le habre sobre ella a mi marido. Me dijo que ella hizo una cosa molesta. Ahora mi foto está en la papred el cambio de la foto de ella y yo.

 

お弁当

結婚するまで母がお弁当を作ってくれていた。正直お弁当がプレッシャーで苦痛だった。というのもお弁当だと「食べなきゃ」という義務感みたいなのが働いて食欲が無くてもラーメンとか牛丼が食べたくてもお弁当を食べないといけないからだ。

母のお弁当は彩も栄養もいいんだけど、一つのお弁当箱にご飯、おかず、果物を入れるので温めたくても温められない。冷めたお弁当でもまあまあ美味しいんだけどやっぱり温かいものを食べたいと思っていた。

それでもどうしても食べられない時があって必ずお弁当箱を洗う時に「ごめん、今日は食べられなかった」というのが心苦しかった。時々お弁当を持って行くのを忘れることもあってそれも心苦しい。というのも一度妹がお弁当を忘れた時に「せっかく作ったのに忘れられると腹立つのよね」と言っていたのでそれ以来怖くて仕方がなかった。

 

結婚してからは当たり前だけど自分のお弁当は自分で作る。でも朝は作れないので前日の夜に作っている。と言ってもほぼ冷凍食品で卵を焼いているぐらいで、あと工夫しているのはご飯の代わりにおからを入れていること。母のお弁当には程遠いけど通勤に2時間かかる身としてはうまくやれているんじゃないかなと思う。良人はお弁当がいらないのでそれも楽。しかし彼は外回りや会議などが多いしひどいとお昼休みはずっと寝ているので食生活が心配だ。

 

私達夫婦は子供がいないし食生活はかなり諦めているのである意味仕方がないのかもしれない。でも健康診断が怖いなと思うのである。

普通って何?

私は両親がいて姉妹がいて祖父母がいて当たり前のように幼稚園から小学校、受験して私立の中高一貫に進み浪人留年することなく大学まで出て新卒であるシステム会社に入り、定年まで過ごすと思っていた。いじめに遭うこともなく母から「若い時の苦労は買ってもせよ」と言われるぐらいの人生だった。ここまでは私が思っていた「普通」。

 

些細なことから休職して仕事を辞め、いわゆる第二新卒で入った次の仕事も休職からの退職、アルバイトや職業訓練を経て今の会社に入る。そこで見てきたことは私が思っていた「普通」とはだいぶ違う人生だった。思いつく限り箇条書きで。

・両親が揃っていない家庭もある

・兄弟構成なんてバラバラ

・祖父母と会えない家庭もある

・幼稚園にも保育園にもいかない子供がいる

・いじめに遭うことだって多い

・私立の中高に行けるのは一握り

・別荘がある子もいればツケで料亭のご飯が食べられる子もいる

・高校中退する子もいっぱいいる

・高校を浪人する子もいっぱいいる

・大学を浪人する人も多い

・そもそも大学進学しない人も多い

・留年することだってある

・就職浪人にフリーターや派遣だって多い

鬱病になる人だっている

 

恋愛事や友人関係を入れたら人生とは何て多彩なんだろう。私が思っていた「普通」は一体何なんだろう。「普通」というより「幻想」ということだと思う。

 

こんな状況で「普通」に結婚して「普通」に子供持つって無理じゃない?

痛み

他人の痛みを自分の物差しで測らないでほしいという話。

 

先日Twitter上で「男性に生理痛を分かりやすく説明する」みたいな漫画があがっていたけど、まあ確かにそうなんだよなあと思いつつ全く生理痛の無い女性もいる。私の場合はとにかく眠いし集中力切れるしイライラするしお腹は空くし……。

でもね、これって女性が男性の股間を強打した痛みが分からないっていうのに似ているんじゃないかなって思う。良人にヒアリングしたら「もう殺してくれって思う」と言っていたので想像するどんな痛みより辛いんだろうなあ……。

生理痛もだし出産も人によって全然違うんだし、股間に限らずどこかを強打したら痛いのは当たり前。でもどの程度感じるのは人それぞれだと思う。例えるなら走って転んだ時に泣くほど痛く感じる人もいるかもしれないし、服に付いた砂を払ってまた走れる人もいるかもしれない。痛みとはひどく個人的なことなんだ。

 

辛い、痛いのは生命維持に直結すると思うので、誰かが辛い思いや痛い思いをしていたら「そんなに甘えるなよ」「私の方が痛いし」とか言わずに何か自分にできることをするべきだと思う。っていうか私はしてほしい。お前の痛みなんて聞いてねえよ!!!って思うし、相手だってそれを望んでいないと思うから。

ストレス

ストレスがかかると自分の一番弱い所に出るという。胃腸が弱い人は胃が痛くなったりお腹が痛くなったりするし、三半規管が弱い人は眩暈がしたりひどい場合にはメニエール病になったり、といった具合に。私の場合は心が一番弱いので肉体に来る前に精神に来る。逆に言うと落ち込みが激しい時はPMSだったり風邪気味だったりするので分かりやすいと言えば分かりやすい。

 

ところが。精神以外にも不調が出る時がある。これがやっかいで、例えば眩暈。私の場合もともと乗り物酔いしやすいということもあり三半規管はそんなに強くないだろうなと思っていたけどやっぱりぐるぐるする眩暈は厄介だ。数は少ないけど通常はこういった回転性の眩暈だから稀にくるふわふわした眩暈は本当に焦る。

もう一つは父の体質を受け継いだのか、よくお腹を壊す。大人になって下痢をする回数は減ったけど便秘に悩まされるという経験がほとんどない。精神を病んでいる時は1時間に1回の割合でトイレに駆け込んでいたこともある。

最近気になるのは喉の違和感。鎖骨の間というか男性でいう所の喉仏の下というか、とにかくその辺りがつまったような感覚がある。調べてみるとヒステリー球というやつに該当するみたいで原因はストレス。まあ仕事嫌いだしね……というより大嫌いな人がいてその人が後ろを通るたびに寒気がする。転職しかないのかなと思いつつだらだらと今の会社にいる訳である。今のところ業務に差し障りないしね。