El Diario Del Bufón Del Rey Lear

元リアの道化による独り言とか。

バレンタイン

バレンタインもホワイトデーもあんまり好きじゃないんだけど、何となくわかったことがある。

結婚する前は本命とかドキドキしながら渡していたけど、結婚した今は感謝を表す日として使っている。というのも私は日頃感謝の気持ちを表すのがとても苦手で(謝るのはどちらかというと得意だ)、ついごまかしてしまうんだけどこういう行事があると行事にかこつけて「いつもありがとうございます」とチョコレートを渡しながら言えばいい。もちろん年末年始でもいいんだけどね。

昨今は友チョコも流行っているので女性の上司や同僚にも言いやすい。ちゃんと感謝の気持ちを表せる人は関係ないと思うんだけど、私みたいな人には言いやすいと思う。

まーでも、何も女性からって限らなくていいとは思うんだけどね。一応女性から愛の告白をしていい日ということらしいので。

心霊現象?

ある日のこと。当時まだ実家にいた私が体調不良で自室のあった二階で寝ているとベランダから物音がした。シルエット的におそらく母が洗濯物を干しているんだろうなと思ってそのまま寝ていた。その日の夕方母に「洗濯物干してた?」と聞いたら「今日洗濯してないよ」と言われた。何事かと思っていると、一人心当たりがある。母の叔母、私からすると大叔母である。彼女はこの時すでに亡くなっていたんだけど、シルエットは母に似て背が低く小太りである。丁度この時母がその大叔母の夢を見ていたのでもしかしたらおばさんが私達の様子を見に来たのかもねと笑った。

 

母の家系はどうやら霊感が鋭いらしくその手の話が割とある。父の母が亡くなる直前、彼女は母の母に会いに行ったらしい。いや父の母の肉体は病院のベッドにいてチューブだらけなんだけど。夜中の三時ごろ母の母が急にベッドに座り何か大きな声で話し出したそうだ。当時母の母と一緒に寝ていた母の一番上の姉によると、母の母は「私は婿に恵まれてねえ……」みたいな話をしていたらしい。その日の夕方に父の母が亡くなり、母の一番上の姉も葬儀に来たんだけど母の母には詳細は言わなくても分かっていたらしい。うへえ。

母の携帯も時々写真を見ていると時系列に並んでいるはずの写真なのに不意に父の母の写真が出てくることがあるそうだ。何なんだ一体!

あと確か母の母は外国人の幽霊を見たことがあるんじゃなかったかな。で、毎日酒と塩をあげて「私は何にもできません。あなたを助けてくれる人のところに行きなさい」とかなんとか言ってなだめて追い払ったらしい。

 

幽霊恐怖症の私にはいろいろ信じられないけど、母の叔母が会いに来た?こともありもしかしたら今後もあるのかそういうこと。怖いよ。

カラオケ

カラオケが好きである。歌はうまくないけど声量だけはあるので性質が悪いが、カラオケが好きである。

良人と私は共にThe Beatlesが好きだから2人で行く時は全部The Beatlesまたはポール・マッカートニーのソロ曲だ(なぜかジョン・レノンジョージ・ハリスンリンゴ・スターのソロは歌わない)。場合によってはライブのセットリストをなぞるぐらいである。楽しいんだけど、洋楽モードじゃないときは若干辛い。

かと言ってリア友とだとアニソンやキャラソンやThe Beatlesはそんなに歌えないし、ヲタ友だとアニソンやキャラソンやボカロに詳しくないのでいろいろ辛い。妹と2人の時かヒトカラは好き勝手に歌っているので問題はない。純粋に歌いたい時はそうするのがいいのかなと思いつつ、結婚してからなかなかカラオケに行っていない。地味に高いしね。

最後にカラオケに行ったのが夏。次はいつ行けるのかなあ。

学校における有名人

私の通っていた中高では英語のスピーチコンテストがあった。スピーチが終わった後審査員が評価している間は当然暇なので、ある年まで英語部(いわゆるE.S.S)による劇の上演があった。後に「合唱コンクールの審査中に音楽部(いわゆる合唱部)の発表が無いのに英語部だけ発表の場があるのはおかしい」という理由で無くなったんだけど、別に存続してもいいんじゃないかなと思う。ミッション系の学校だったのでY.W.C.A.(=キリスト教女子青年会)と聖歌隊ハンドベルもあったんだけど、それらは礼拝で奉仕という名の発表があるんだよね時々。まあキリスト教系の部活は特別なんだろうか……。

 

そう言えばバスケ部とバレー部と卓球部は球技大会で活躍していたし、テニス部も球技大会の卓球で結構力を発揮していた。先述の合唱部と聖歌隊合唱コンクールで活躍していたしそれぞれに目立つ場があったような気もする。

私が所属していた演劇部はそういう場はなかったけど何かと目立ったと思う。私もスピーチコンテストに出場したけど、全然知らない先輩とかには「あ、演劇部のあの子でしょ?」みたいな反応だったと聞いた。

これはこの前聞いたんだけど、Y.W.C.A.の会長だった友達は時々定例報告で全校生徒の前に立つことがあったからそこそこ名前を知られていて、体育大会の時に知らない後輩とツーショットをお願いされたらしい。公演系じゃなくても有名な人はいるよね。

友達

父と姉は交友関係が広く友達も多い。父の年賀状は全盛期で豆腐3丁分ぐらい来ていたと記憶している。実家を出た今は知らないけど、それでも1丁は来ているんじゃないかと思う。姉の方は彼女自身も言っていたけどあちこちの世界に所属しているので多種多様な友達がいる。結婚式もかなりの人数が来ていたと思う。

反対に母と妹は交友関係が狭く深いので話を聞くといわゆる「いつメン」で会っていることが多い。2人とも学生時代からの付き合いだから妹は10年以上、母に至っては30年以上付き合っていることになる。

良人は「結婚式に呼ぶ人なんていない」とか言っていたのに実際は私より多くの人数を結婚式に呼び、それでも人数の都合で呼んでいない人もいる。仕事関係はほとんど呼んでいないので彼の友達とか知り合いはきっと多いだろう。

さて私だけど、交友関係は狭く浅いという一般的には最悪のパターンだと思う。中学から付き合っている友達もいるしここ数年でできた友達もいる。切れてしまった人達、いつの間にか離れてしまった人達も多い。

 

狭く深くでも狭く浅くでも広く深くでも広く浅くでもその人の人生なんだから友達が多くても少なくてもいいじゃないと思う。他人にどうこう言われたくはないね。友達が少ない私が誰かに迷惑をかけているのかって話。

椎名林檎とこっこ(スペイン語バージョン)

以前書いた日記のスペイン語バージョン。多分文法間違えてると思う。

 

De repente, odio Ringo Shiina y Cocco. Nunca escucho, y no esucheré sus canciones en mi vida. Lo siento si haya sus enfantas.

 

Cuando era niña, mi hermana major escuchaba de Cocco, pero no interesaba a ella por eso no tenía nada impresión.

 

Las dos canbiaran a las especiales cuando era alumna del colegio segundo. A una “sempai” del club le enantaban las dos cantantes, y yo la gustaba a ella. No, quizás era una tipo de “falso” amor. Así que escusharía las dos, sé que a una “douki” se las enantaban.

Ella era(y también es) muy guapa y tiene un talento de drama, además es muy linda. Como yo era (y también soy) una chica muy normal y no tengo el talento, siempre la envidiaba.

Recuerdo que la sempai y la douki hacía conversasión sobre las cantantes. La verdad era que odio su conversasión. No lleva “mi” sempai... creo que sentía como es. Andaba el camino diferente con la douki.

 

Cuando era primer grado del bachillerato, a la sempai se suicidio de repente. Todavía no entiendo la raón. No pude llorar cuando me dio la noticia, ni su funeral. Una amiga del club me dijo que pudo llorar si quería, pero no pude. Sólo abrazaba una “kouhai” con mi ojos rojos.

En ese momento era un modo de tener una página web. La douki y yo tenían nuestras páginas. En su página, ella escribía que ella no podría llegar a su posisíon de la sempai. Cuando lo vi, de repente sentía que perí a ella sin falta. Aunque no entiendo que tipo de perder, pero la perdí, como eso, odio las dos famosas mucho más.

 

Después de mucho tiempo, la amiga íntima me dijo que ella pudo escuchar a Shiina Ringo. Por ella no tenía común en sus canciones. La dije con vergüenza que todavía no pude escushar por los recuerdos de ella. Ah, no recuerdo qué decía sobre Cocco.

 

Hace unos 15 años cuando ella falleció, pero todavía no puedo escuchar las dos famosas. Además no puedo preguntar que todavía a la douki la gustan.

 

Una vez le habre sobre ella a mi marido. Me dijo que ella hizo una cosa molesta. Ahora mi foto está en la papred el cambio de la foto de ella y yo.

 

お弁当

結婚するまで母がお弁当を作ってくれていた。正直お弁当がプレッシャーで苦痛だった。というのもお弁当だと「食べなきゃ」という義務感みたいなのが働いて食欲が無くてもラーメンとか牛丼が食べたくてもお弁当を食べないといけないからだ。

母のお弁当は彩も栄養もいいんだけど、一つのお弁当箱にご飯、おかず、果物を入れるので温めたくても温められない。冷めたお弁当でもまあまあ美味しいんだけどやっぱり温かいものを食べたいと思っていた。

それでもどうしても食べられない時があって必ずお弁当箱を洗う時に「ごめん、今日は食べられなかった」というのが心苦しかった。時々お弁当を持って行くのを忘れることもあってそれも心苦しい。というのも一度妹がお弁当を忘れた時に「せっかく作ったのに忘れられると腹立つのよね」と言っていたのでそれ以来怖くて仕方がなかった。

 

結婚してからは当たり前だけど自分のお弁当は自分で作る。でも朝は作れないので前日の夜に作っている。と言ってもほぼ冷凍食品で卵を焼いているぐらいで、あと工夫しているのはご飯の代わりにおからを入れていること。母のお弁当には程遠いけど通勤に2時間かかる身としてはうまくやれているんじゃないかなと思う。良人はお弁当がいらないのでそれも楽。しかし彼は外回りや会議などが多いしひどいとお昼休みはずっと寝ているので食生活が心配だ。

 

私達夫婦は子供がいないし食生活はかなり諦めているのである意味仕方がないのかもしれない。でも健康診断が怖いなと思うのである。